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鍛鉄放浪記
ウクライナ・リウネ.2013年7月
2026.2.8  記

オランダの友人からウクライナで行われる鍛鉄イベントに来ないかと誘われた。

2013年夏、成田からエールフランス航空はシャルルドゴール空港に到着。
キーウに向かう飛行機の乗り換えに3時間近くあったので、
搭乗口待合のソファーベッドで寝転ぶと、知らぬ間に眠ってしまった。
『ミツオ!ミツオ!』という放送で目が覚めると、周りには誰も居ない。
慌てて機内へ。

荷物は小さなリュック(着替えは2日分でほぼ毎晩洗濯をする)とトートバッグに日本手拭い200本。

キーウから会場のリヴネまで約350kmをバスで4時間掛かるらしい。
到着口からバス乗り場までキーウの鍛鉄家が送ってくれるはずなのに、それらしい人が寄って来ない。
ソビエト連邦から独立してまだ20数年、英語を話せるのは若者しかいないので、
親切そうな女性に尋ねると、バス乗り場まで送ってくれた。
何番乗り場なのか探している時に、空港で待っているはずだった彼が
『ごめんなさい!』とやって来て、
バスの運転手に僕の降りるバス停を告げ、見送ってくれた。

リヴネに着くと、いかにも鉄を叩いていそうな太い腕の男性が待っていた。一安心。

ソビエトが分解し、東側諸国にも忘れされそうになっていた鍛鉄技法を復活させようとする機運があり、
今回のイベントもその一環のようだ。
鍛鉄の職業訓練校のような施設も出来、オランダの友人Huubはここで何度か技術指導をしているそうで、
僕も短時間であるが行う事に。 セレモニーで日の丸が掲げられていて、何だか国を背負って来ているような気がしてしまう。

 

土曜日。町の大きなフェスティバルの一つとして開催されたイベントは、
ウクライナの鍛鉄家のみならず旧東欧諸国からも多くの鍛鉄家の参加者があり、始まった。
 会場には事前に制作されたオブジェがあり、
終結した鍛鉄家が各々の技法で花を作りオブジェに飾る事になっていたらしい。

 

花制作とは別に、日本に戻ってから、オブジェのセンターに取り付ける鳥を送った。



開会式が始まり関係者のスピーチが終わり、ひとこと挨拶をと、事前に告げられていた僕の番だ。
 『美しい町でフレンドリーな人々にお会いできてこんなに嬉しい事はない。私も多くの事を学んで帰りたい・・・』など、
下手な英語で話したことを覚えている。

 

お土産に持ってきた日本手拭(鍛鉄の様々な道具のイラストを西田が描いた)を参加者に配ってもらったら、
多くの鍛鉄家は頭に巻いていた。

 

日曜日午後はパレード、着飾った若者や子供たちに交じって鍛鉄家もエプロンを付けた格好で加わりメインストリートを行進した。
 

イベント後は訓練校主任のセルギが街を案内してくれたり、
ご馳走をしてくれた。
生徒が制作に必要な鋼材はほとんどスクラップを使用するそうで、購入を同伴した。

 

 

訓練校門扉の鍵が知恵の輪だったが、僕が直ぐに開けてしまったので、もっと難しいのに作り直すそうだ。



レンガ工場にも行ったが、とても興味が引かれた。



 

有意義で楽しい時間を過ごしたが、
この数か月あと東部のロシア国境のドネツクで内戦が始まる事など想像もしていなかった。