PAGEONE(鍛鉄・ロートアイアン)
街に微笑を与える鍛鉄の作品を作る
■西田光男(にしだ・みつお)
洋書を教師に鍛鉄を独学で習得。
1992年秩父市に工房を建て、門扉や手摺、フェンス、モニュメントなど鍛鉄作品を制作し、国内外で活躍中。
1996年からヨーロッパ各国の鍛鉄イベントに招待され出展、講演などを行っている。・
2011年ドイツの出版社『HEPHAISTOS』(ヒファイストス)誌が選ぶ世界7名の金属工芸家の一人に選ばれ、
社会貢献も軸に、2012年3月より津波被災地のこどもたちの元へ「首長恐竜の親子」を展示巡回している。
海外からの研修生も受け入れ西田独自の鍛鉄を世界に発信している。
トンボが優雅に旋回する8月の終わり、北海道オロロンライントライアスロン大会(スイム2km、バイク200,9km、ラン41,8km)に出場した。 男子322名、女子60名が出走。曇り空にもかかわらず、北の大地にしては少し蒸し蒸しする朝6時半、スタートの号砲がとどろいた。 2kmのスイムはスタート直後のバトル(顔を蹴られゴーグルが外れた事も)を避けるため、すべての選手が泳ぎ始めてから海に入った。 しかし後方は遅い選手ばかりでなかなか前に出られない。スイムを終わった時点で42分12秒。 作戦ミスで3・4分ロスをしたと思ったが、レースが終わってみるとこれくらいの時間はまったく関係ない事が分かる。むしろ2kmのスイムは準備運動だ。 増毛町をスタートし、日本海を左に見ながら稚内の手前幌延町まで150kmを一気に北上するバイクコースは、スタート地点と折り返し地点では肌に感じる風の温度が違う。 日本海から吹く、斜め前からの海風なんて何のその(この向かい風は150km地点まで続く)、 80kmあたりまで沿道の声援に手を振り、投げキスのパフォーマンスまでしながら快調に飛ばす。時折、蜂やトンボが体やヘルメットに当たる。 この殺生をした罰があたった訳でもないと思うが、120kmあたりから右膝が痛くなり徐々に失速。 最終的に150人ほど抜いた選手の60人ほどに抜き返され、自転車が得意種目の僕にとって初めて味わう屈辱だった。 折り返し後は追い風となり、一旦足の筋肉に溜まり始めた乳酸が、消えていく感じがするのが不思議だ。しかし、 尻と腰が痛いイタイ。人の数が増え大会の幟が並び賑やかになってきた、もうすぐバイクゴールだ。 バイクタイム7時間27分47秒。通過タイム8時間39分59秒。向かい風に勝てず、この時点で、男子33名、女子16名が脱落したそうだ。 スポンジをもらい、テントの中で体を拭いて靴下からすべてを着替えてリフレッシュ。 想像していたよりも体は軽い、この時点で制限時刻まであと5時間40分。余裕で完走出来ると、この時は思った。しかし3kmを過ぎた辺りから 「監督!膝が・・・膝が痛いっす!」 走ったり、歩いたりの状態になってしまう。時に激痛で歩く事も出来ない。おまけに10km過ぎから、高低さが最高50mのアップダウンが十数回続き、 膝だけでなく脹脛の筋肉もパンパンになってくる。21km地点のラン最初の足切りエイドではギリギリの2分前に到着。 ここで交通安全の為にヒモ付きのペンライトを左肩から掛けさせられる。 「監督!膝も痛いけど、お尻の割れ目も痛いっす!」 オロナイン軟膏をもらいエイドテントの裏で、お尻に刷り込む。スポンジの水で指を洗っていると、おや! ハンゾ(旭川のトライアスロンチーム、今回臨時チーム員としてお世話になっている)のサポーター達、余裕の笑顔で記念写真を撮ってもらう。 しかし心の中では、次は間に合わないと泣いていた。再び走り出すが、エイドのざわめきが聞こえなくなると、また歩いたり走ったりの体たらく。 「こんな自分でいいのだろうか。」 太陽が海に飲み込まれようとしたその時、車が後ろから近づき、ピッタリと僕に並走する。何やら放送しながら。 『競技は終わりました。片付けの準備をしてください』100mごとに居るボランティアに知らせているのだ。 「なんと!僕は最終走者だ!・・・!」 振り返って見ると、後ろにいた選手は後続の収容バスに乗っていた。 辺りは真っ暗になり、100mおきに臨時に取り付けられた裸電球は寂しげだ。なんとか歩かずに走った。 次の足きりエイド(27,7km地点)ではボランティアの応援に引き寄せられ、制限時刻の1分前にやっと間に合った。 右膝はエイドの度に吹きかけたスプレーが乾き、真っ白。 「次の制限エイドまで約8km、残り64分。頑張れますか?」 「とにかく走ります。自分から辞めることはしません」 不思議な事に30km表示が見えた頃から、時々襲う激痛がなくなった。何人か歩いている選手を抜かすと、伴走車は後へと消えていた。 羽幌町築別エイド(35,8km地点)もぎりぎりクリア、あとはゴールを目指すだけだ。膝にスプレーをかけ、オレンジやスイカを食べていると、 「こんなに、ゆっくりしていて大丈夫ですか?」 「まだ40分あります。5kmだからなんとか間に合います」 「6kmですよ!」 「エッ!・・・ガォ〜何が何でもゴールするぞ!」 残り6kmは、この42kmのうちで最も早い速さで走った、もう痛いなんて言っていられない。 すると又伴走車が横に付いた。うしろの選手は脱落したらしい。伴走車の中からも声を掛けられた。 「もうすぐです、頑張ってください!」 「ありがとう!あなたが横に付いてくれたおかげで、走れているようなものです・・・」 「そんな事ないです、あと少しですから完走してください!」 暫くすると、重い足取りの女性ランナーに追い着いた。 「頑張りましょう!もうすぐです」自分自身が励まされた時と同じ言葉を掛けると、 「駄目かもしれない」と、彼女は泣き出した。それでも足音は後ろから聞こえている。 遠くから会場のアナウンスが聞こえはじめ、橋を渡り切ったところで、ふらふらと歩いている若い男子選手がいた。 「ゴールはもうすぐだ。僕と一緒に走ろう!」 「はい・・・」 弱い返事と共に20mほど付いてきたが、すぐに足音は暗闇の中に消えてしまった。 沿道の人が増え、「間に合うぞ!・・・頑張れ!」の声援。商店街を左に曲がるとゴールまで400mの直線は、大観衆の拍手と大声援。 頭を下げて走るわけはいかない。 その時アナウンスが聞こえてきた。 「やって来たぞ!ゼッケンナンバー306。埼玉からやって来た西田光男50歳だ〜。 なんと鉄人レース初挑戦の・・鉄のアーティストだ!・・鉄人が鉄人になったぞ〜・・・!」 僕は、沿道の声援に両手を高々と上げ、手を振りながらゴールテープを切った。まるで一番に戻ってきた選手のように。 8時27分51秒、制限時間の2分9秒前のゴール。男子322名中242位。完走者の最下位。13時間57分51秒の痛く、苦しくそして本当に楽しい一日が終わった。 あの女性ランナーも、1分30秒を残してのゴール。 あの男子選手は、8時半の打ち上げ花火には間に合わず、ゴールテープは片付けられた。 |